いつもお読み頂き、ありがとうございます。
生年月日を科学し、人間関係をデザインする。
日本一個人検証数が多い個性學エヴァンジェリスト・村元治枝です。
早いもので2021年も残すところ数日となりました。
昨年からの、日々の暮らしや働き方が激変する過程に、誰もがゆっくりと馴染んでいった一年であったように感じています。
その中でのオミクロン株流行のニュースは、お子さん(特に受験生)がいらっしゃるご家庭にはご心配が多い年末かもしれません。
《お母さん》《お父さん》が圧倒的に多い私の講座では「リモート授業ばかりで学力が心配」、緊急事態宣言時には「友達とも自由に遊べない」「運動会も文化祭もクラブ活動もない」といったご心配の声を聞くことは珍しくありませんでした。
私たちは、自分の観点(過去の経験)で世界の全てを観ています。
全ての基準が自分でありながら「世の中は」とか「普通は」と言います。
あなたと同じ経験ができない子どもはかわいそうですか?
もし、そうお考えになったり、子どもに対して伝えたりすると、その瞬間その子は「不当に何かを奪われた人」「世の中から不当な扱いを受けた人」になってしまいます。
私たちにとっても子どもにとっても「今日が現実」です。
今この瞬間生きている現実以外の現実はありません。
現実(今ある事実)を自分の観点で観たものが《自分にとっての真実》です。
つまり、真実は人の数だけあります。
この事実と真実の区別がつかないと、生きることは非常に辛いことばかりになります。
80年代に松田聖子さん(先端D/夢想 従順展開 h-g)と2大歌姫と称された中森明菜さん(先端E/実績 従順展開 h-f)をご存知でしょうか。
90年代以降表舞台から遠ざかっているにも関わらず今もとても人気の歌手です。
(ちなみに私も今も大好きです)
彼女の歌には、遊びに行ったリオで恋をして、彼を追いかけて北ウィングから外国へ飛び、失恋したらサハラ砂漠に傷心の旅というようなバブル期の恋愛が描かれています。
私の青春はこの時代とピッタリ重なっているので全く違和感がないのですが、息子たち世代の曲は「改札前でどうした、こうした」とか、行動範囲が狭い!(笑)
息子からは以前、バブリーダンスの衣装を「本気でこんな格好してたの?」「なんのために?」と聞かれて「みんな、そうだったの!」と答えたらきょとんとされたこともありました。
「当たり前」も「普通」も、普遍的・絶対的なものはないということですね。
あなたが子どもをかわいそうだと思うことは止められなくとも、子どもは今の現実をたくましく、それなりに楽しく生きています。
そして、あなたが、あなたのできなかったことを子どもにさせたいと願うのは、もしかしたら単なるエゴで、子どもが望んでいることとは違うかもしれません。
新しい年を迎えるにあたり、もう一度「私は自分の命を何に使いたいの」「私は子どもをどう育てたいの」と、目的を創作しなおす機会になさってみてはいかがでしょうか。
最後になりましたが、今年も大変お世話になりました。
昨年から続く喪失続きのトキを、目的を忘れずに過ごせたのはあなたのおかげです。
あなたという贈り物に感謝しています。
ありがとうございます。
そして、新しい年があなたにとってよき年となりますよう心からお祈り致します。